AYAKO

自然療法を選ぶなら、癌の細胞診、組織診(針生検)はやらない方がいい

先日ママ先生に、細胞診でどんなことをしたのかを聞かれました。

細胞診をやった人たちの乳癌は、小さくしても小さくしても、また戻ってしまうのだそうです。

わたしの癌もそう。治療の直後には驚くほどスッキリしていても、またしばらくすると戻ってしまう。

それでママ先生は、「いったい、細胞にどんなことをしたせいでそうなるのか?」と疑問に思ったようです。

あ、そうか、ママ先生はたくさんの癌患者を治療してきているけれど、病院がどんなことをしているかは、体験したわたしたち患者じゃないとわからないんだ、と思いました。考えてみれば当たり前のことだけど、つい、先生は何でも知っているような気がしていたのでした。

ママ先生の治療は、癌に限らず、病気や症状の根源的な原因を見つけて、身体が本来の働きをできるように戻していくやり方です。

結果として出ている症状をなんとかしようという、いまの西洋医学の対症療法とは真逆のやり方。

だから、細胞診を経験した人たちに共通した症状があるなら、どんなことをしたのかを知ることで、治療のヒントが得られると考えたのかもしれません。

それにしても、細胞診をやった時のことを改めて思い出すと、あまりにも酷いなぁと思います。

検査という名目の一連の作業の中で、詳しい説明もなく、「ちょっと細胞を採るだけ」と聞いていました。

実際に行われたのは、針生検と言って、細胞診よりもさらに多くの細胞を採るもので、しこりを中心にいろいろな向きから、何箇所も細胞を採り、さらにしこりの周囲からも採っていました。専用の道具からバチン、バチンと嫌な音がするたびに、看護師が耳を塞いでくれました。

検査が終わった後に帰宅して、真っ黒に腫れ上がった胸がテープで無理やりあらぬ方向に固定されているのを見た時はひどく惨めな気持ちで、「大変なことをしてしまったのでは」と思いました。

わたしが病院で検査を続けること自体が危険だと気付き始めたのはこの頃で、この次にMRIを受けるために造影剤を飲むように言われた時、もうこれ以上ここに居たら病人になってしまう、逃げよう、と思いました。

最初に病院を訪れてから、針生検まではノンストップでした。

突然「おそらく癌だろう」と言われ、心は極端に不安定な状態。一方、検査はオートメーション化されていて、まるでベルトコンベアーに乗っているように、次、また次と流れていきます。

針生検が終わると、結果を待つ少しの間、時間があります。ここではじめて心と時間に少し余裕ができる。そして情報収集を始めて、他の選択肢があることを知る。結局自然療法を選ぶことになる人も、細胞診まではやってしまうことが多いのは、このタイミングまでは、選択をする余裕がないからだと思います。

検査は、健康な人には害のないものなのかもしれません。だけど、検査の後、わたしの健康状態は極端に悪化していて、死ぬことすら現実味を帯びているように思えました。

ちなみに、針生検を行う前の時点で、癌であることはほぼわかっていて、針生検は、細胞の検査をして、確実に癌であることを確認して、どういったタイプの癌かを知るためのものでした。

いま思うと、ほぼ癌であることがわかっていた、あの時の状態であれば、わたしがやることは決まっていました。

生活を変えて、食事を変えて、心の持ち方を変えること。

つまり、いまやっていることと変わりません。

たとえもし良性だったとしても、無視できない大きさのしこりがあったのだから、身体が警笛を鳴らしているのは明らかで、それに取り組む必要がありました。

わたしの場合は、わざわざ癌のタイプを確定するために細胞の検査をする必要は、無かったのです。

わたしの左胸の乳がんは、もともとは一つの小さな玉状のしこりでした。いまは、まるで針生検の痕を証明するように、二つの山に分かれています。

病院で標準治療を受けると、どうせ根刮ぎ取り去ってしまうから問題にならないのかもしれません。

だけど、わたしは、検査にリスクがあることを知りたかったし、知らせて欲しかった。

もし、これを読んでくれる人で、癌にかかったら自然療法を選びたいと思う人がいたら、これだけは心に留めておいてほしいと思います。

自然療法を選ぶなら、細胞診は必要がないということ。細胞診をやらなければ、治癒はずっと早いのです。

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