闘わない癌の治療

闘わない癌の治療

ここ一週間の間に、樹木希林さん、そして格闘家の山本KID徳郁くんが亡くなりました。

キッドくんは歳も近く、何度か試合を見に行ったこともあったし、好きな格闘家だっただけに、ショックでした。

あんなに強くて優しい人が、癌で死んでしまうのか。

亡くなってから知りましたが、つい先月末に癌を公表して「絶対元気になって、帰ってきたい」と言っていたのだそうです。二年前から胃がんの治療をしていて、それをずっと隠してきたのだとか。

ふと、もしかして、公表に至ったのは、治療を受けるにあたって死を覚悟するようなことがあったのかもしれないなと思いました。いつも大きな声援を味方に闘ってきた人だから、公表することで、持てる以上の大きな力を出そうとしたのかもしれないし、万が一のことを考えたのかもしれません。それからひと月も経たずに亡くなってしまうなんて。なにがあったのかはわかりませんが、残念でなりません。

わたしの癌の治療も、もうすぐ二年。癌の種類は違うけれど、同じ時期に同じく癌を患っていた人が亡くなったと思うと、何やらいろんな感情が湧いてしまい、やるせない気持ちになります。

樹木希林さんは以前から全身がんを公表していましたが、癌と共存していたような印象でした。2004年に乳がんが見つかったのがはじまりだそうで、その翌年に乳房の全摘手術をしたそうです。2008年に、腸、副腎、脊髄に転移、そして2013年には全身がんを宣告されたのだとか。

2006年の、朝日新聞シンポジウム「がんに負けない、あきらめないコツ」という対談で、ご本人が、乳がんの手術の後、ホルモン治療が嫌だったので止めたという話や、治療のために太らないようにしたり、腸がよく働くようにしていたという話をされています。

自分が納得した治療を選んで行っていたようで、手術と放射線治療はしていたそうですが、ホルモン剤や抗がん剤治療はやらなかったのだそうです。

同じ対談で、乳がんの検診を促進する広告への出演を断った話もされています。理由は「わからないから」。樹木さんの後輩の女性に小さな癌が見つかって、いろんな治療をした結果、動けなくなってしまった例を見ていたので、早期発見を促すこと自体を疑問視されていたようです。

これらのエピソードからも、樹木希林さんの癌との向き合い方は、受け入れて、共存していたような印象を受けます。

一般に、癌の転移は恐れられますが、一方で「癌の転移は身体の治癒反応だ」とする説もあります。弱体化した癌が、逃げ場を求めた結果が転移だというのです。

癌が全身に転移して「手の施しようがない」と病院に見放された人が治療を止めた後に劇的な寛解に至ることがありますが、転移が治癒反応だと考えれば、すでに治癒の過程にあったのだとも言えそうです。

樹木希林さんの場合、最初の癌の発見から14年経っていたことを思うと、もしかしたら亡くなる直接のきっかけとなったのは、骨折のほうではなかったのかな?と思ってしまいます。

わたしは、テレビや雑誌などのメディアで「闘病」という言葉を見聞きするたびに、違和感を感じています。癌は特に、「闘病」と表現されることが多い病気です。「癌と闘おうとするから、癌は治らないということになってしまうのではないか?」と思うのです。

癌と闘おうとするから、病巣を切り取ったり、身体のダメージをかえりみずに抗がん剤を使ったりします。抗がん剤治療は、身体の中に原子爆弾を落とすようなものです。そして、患者は大きな苦痛と我慢を強いられます。それまでの人生で、我慢をし過ぎて癌を発症した癌患者に、さらなる我慢を強いるのです。

わたしには、いまの癌の標準治療は、まるで自分の身体の中で戦争をやっているようなものだと思えます。身体が病気を通して伝えたいことには耳を傾けず、自らの身体をボロボロの焼け野原にしてまで打ち勝とうとする。その構図は、いつまでたっても戦争が止められないこの世界と、まるで同じように見えるのです。

闘う人には大義があり、行いは正義だと信じています。それだけに、とても危うい。戦時中の共同幻想と、癌の標準治療を盲信することは、なんだか似ているような気がしませんか?

癌が見つかった時、多くの人が「なぜ自分が?」と考えると思います。運が悪かったと嘆いたり、癌を作った自分を責めたりするかもしれません。

大切なのは、身体に症状として出ている癌を取り去ることよりも、癌を治して早く元の生活に戻ることよりも、癌の原因としっかり向き合うことです。

そうして、二度と癌を作らない自分になって生きること。それこそが、本当の癌の治療だと思うのです。

 

*画像は樹木希林さんが出演された、宝島社の企業広告です。

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